セミョーン・グルズマンはソ連による精神医学の濫用に立ち向かった

先日、一人の精神科医がこの世を去りました。ウクライナの精神科医であり、人権活動家でもあったセミョーン・グルズマン氏です。

2026年2月16日、79歳で亡くなりました。

彼は「精神医学が政治に利用される」という、この分野における最も暗い側面と真っ向から戦った医師でした。

「病名」が武器にされた時代

1970年代の旧ソ連では、国家に異を唱える人々を「精神病」と決めつけ、強制的に精神病院へ収容するという恐ろしいことが行われていました。

そこで使われたのが、国際的には認められていない「緩慢型統合失調症」というモスクワ学派が好んで使った診断名です。

  • 「社会の完璧さに気づかないのは、精神が病んでいる証拠だ」

  • 「一見普通に見えても、心の奥底で病気がゆっくり進行している(だから隔離が必要だ)」

このように、医学が「治療」のためではなく「排除」のために悪用されていたのです。

当時、25歳の若き精神科医だったグルズマン氏は、ある反体制活動家の記録を調べ、「彼は完全に正気である」という鑑定書を命がけで発表しました。

その結果、彼はソ連の収容所(グラーグ)へ送られ、7年間の強制労働と嫌がらせを受けることになります。

収容所から届いた「抵抗の教科書」

グルズマン氏のすごいところは、収容所の中でも屈しなかった点です。

彼は薄い紙切れに細かく文字を書き、それを隠して外へ送り出し続けました。その中には、「活動家のための精神医学マニュアル」というものがありました。

  • 「医師の診察には礼儀正しく答えなさい(感情的になると不安定だと見なされる)」

  • 「自分の信念を必死に弁護してはいけない(パラノイアだと言いがかりをつけられる)」

彼は、精神医学の知識を「権力から身を守る盾」として人々に授けたのです。

彼の告発は世界を動かし、のちにソ連の精神医学会が国際社会から追放されるきっかけとなりました。

晩年の彼は、独立したウクライナで精神医療の改革に尽力し、2022年のロシア侵攻の際も、電気が止まったキーウの自宅に留まり続けました。

最後に記事の文章を一部引用して、この話を終わらせたいと思います。

Yet as a responsible psychiatrist, who had wanted to make the human mind his study since school, he could not see even the USSR in plain black and white. Everything was shades of grey. How could you determine who knew and who didn’t know, who served sincerely and who did not? Everyone was guilty, everyone a victim.

学生時代から人間の精神を研究対象にしたいと考えていた責任ある精神科医として、ソ連(USSR)でさえも白黒はっきりとした見方はできなかった。すべてがグレーの濃淡だった。誰が知っていて誰が知らなかったのか、誰が誠実に仕えていて誰がそうでないのか、どうやって判断できるだろうか?誰もが有罪であり、誰もが被害者だった。

 

自由と正義のために戦った一人の医師の冥福を、心よりお祈りします。

参考
Semyon Gluzman defied the abuse of psychiatry by the USSR (The Economist)

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