ハーバード大の研究が明かすデータ投資の罠「オルソソムニア」とは?
オルソソムニア(Orthosomnia:正しい睡眠への執着)という存在に気づきましょう
こんにちは。吉本メディカルクリニック院長の吉本光宏です。
現在、アメリカやイギリスでは約半数近い人が、スマートウォッチやスマートリングなどの「睡眠トラッカー」を使っていると言われています。
診察室でも患者さんがApple Watch、Garmin、fitbitなどつけているのを見かけます。
今回は、最新の医学研究をもとに、これらのデジタルデバイスが本当に睡眠の改善に役立つのか、それとも逆効果になってしまうのか、精神科医の視点から解説します。
睡眠時間と「老化」の意外な関係
そもそも、なぜ私たちは睡眠にこだわるのでしょうか。睡眠不足が認知症や糖尿病などのリスクを高めることはよく知られていますが、最新の研究でさらに興味深い事実が明らかになりました。
【根拠論文】 科学誌『Nature』に掲載された英国バイオバンク(約50万人のデータベース)を用いた最新研究によると、睡眠時間と生物学的老化(脳と体の老化マーカー)の間には「U字型の関係」があることが分かりました。
最も老化が遅かったのは、夜間の睡眠時間が「6.4時間〜7.8時間」の間の人たちでした。これより短すぎても、逆に長すぎても、脳と体の老化が進みやすい傾向があったのです。
つまり、適切な睡眠時間を保つことは、健康寿命を延ばすために非常に重要だということです。
睡眠トラッカーはどこまで正確なのか?
では、市販の睡眠トラッカーはどのくらい信用できるのでしょうか? 結論から言うと、「寝ているか、起きているか」の判断については非常に優秀です。
【根拠論文】 専門誌『Sensors』(2024年発行)に掲載された論文では、人気のウェアラブル端末3機種を、医療機関で行われる睡眠の「ゴールドスタンダード(金標準)」である「終夜睡眠ポリグラフ検査(PSG)」と比較しました。その結果、夜間の「睡眠」と「覚醒」を区別する精度は、約95%の確率で医療用検査と一致していました。
Robbins R, Weaver MD, Sullivan JP, et al.
“Accuracy of Three Commercial Wearable Devices for Sleep Tracking in Healthy Adults.”
Sensors. 2024;24(20):6532. Published 10 October 2024.
DOI: 10.3390/s24206532
しかし、注意が必要な点もあります。レム睡眠(夢を見る睡眠)やノンレム睡眠(深い睡眠・浅い睡眠)といった「睡眠ステージの分類」になると、医療用検査との一致率は50%〜80%に低下します。
ハーバード大学の睡眠科学者レベッカ・ロビンズ博士は、この精度を学校の成績に例えて「C+からB+程度」と評しています。デバイスが表示する「深い睡眠のスコア」は、あくまで目安程度に捉えるのが賢明です。
睡眠データの罠:「オルソソムニア」に要注意
睡眠トラッカーには、自分の睡眠を客観的に見つめ直し、生活習慣を改善するきっかけになるという大きなメリットがあります。実際、アメリカ睡眠医学会の調査では、利用者の55%がデータを見て行動を変えたと回答しています。
【根拠論文】 『Journal of Clinical Sleep Medicine』(2020年発行)に掲載された小規模研究では、睡眠トラッカーを1週間着用することで、自己申告による睡眠の質が向上したという報告もあります。
Berryhill S, Morton CJ, Dean A, et al.
“Effect of wearables on sleep in healthy individuals: a randomized crossover trial and validation study.”
Journal of Clinical Sleep Medicine. 2020;16(5):775–783.
DOI: 10.5664/jcsm.8356
しかし、精神科医として最も懸念しているのは、「データに振り回されて不眠が悪化する」という本末転倒な現象です。
これを研究者達は「オルソソムニア(Orthosomnia:正しい睡眠への執着)」と呼んでいます。トラッカー利用者の最大30%が、記録されたデータに対して不安やストレスを感じているという報告があります。
食事や運動と違って、睡眠は「頑張ろう」「完璧にしよう」と意識すればするほど、脳が緊張して目が冴えてしまいます。人間にとって、お金の心配の次に不眠を引き起こしやすいのが「眠れないことへの不安」なのです。
睡眠トラッカーは、あなたの睡眠をサポートしてくれる便利な「ウェアブルウォッチ」です。しかし、その数字がすべてではありません。
最も確かな睡眠のインジケーター(指標)は、デバイスのスコアではなく、「朝起きたときに、自分がすっきりしていると感じられるか」という主観的な感覚です。
もし、スマートウォッチのデータを見て「今日も深い睡眠が足りない…」と落ち込んでしまうようなら、むしろ逆効果です。ビジネスでの重要な場面で頭がフル回転しないかもしれません。
思い切って数日間、時計を外して寝てみてください。自分の身体の感覚を信じることが、心地よい眠りへの一番の近道です。
参考
Science & technology | Well Informed Should you use a sleep tracker? (The Economist)